きっと、もっと輝く私。

輝くこの人に大接近

自分らしく輝きたい!そんなみんなに力をくれる、この人の生き方とは…。

桂 右團治さん(落語家)

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司法試験から一転して落語家の道へ。右團治さんの一途な気持ちに、黙って回数券を手渡すことで応えてくれた桂文治師匠。こうして右團治さんの内弟子生活が始まりました。

「前座」と呼ばれる入門したてのタマゴたちは、師匠の身の回りの世話や、寄席の楽屋でお囃子の太鼓をたたいたり、お茶を入れたりと下働きをしながら、落語家というスタイルを学び、身につけていきます。

2004年元旦に一門がそろっての記念の写真
2004年元旦に一門がそろっての記念の写真。右團治さんの右、敬愛する文治師匠は、この年の1月31日に急逝された。
右團治さん

女性であることへの周囲の目や反応は、いろいろありましたが、まあ、あって当然と思っていました。それを覚悟で落語家をめざしたのですから。
それより、まずは修業。師匠は常々「基本が肝心」と言っていました。
そのためには、まず落語の世界に「同化」しなければなりません。江戸弁を習い、落語に合った大きな声が出せるように、とにかく稽古。スタートが遅いぶん、覚えることもいっぱいあって無我夢中でした。

神戸育ちで関西弁の発音に慣れ親しんで育った右團治さん。しかし、江戸落語は江戸弁で話してこそ本物。きちんと修業していつか自分なりの江戸落語を極めたいと願う右團治さんは、どう江戸弁をマスターしていったのでしょう?

江戸弁とは?
江戸時代に江戸っ子たちが使っていた言葉のこと。江戸弁で語るのが本当の江戸落語なのです。江戸弁は現在の東京弁とはかなり異なり、その特徴は簡潔にして痛快、ハキハキとしてテンポがいいこと。例えば、「まっすぐ」が「まっつぐ」、「やってしまう」が「やっちまう」、「始める」が「おっぱじめる」という具合に、言葉に勢いがあります。正しい江戸弁を教わるには、それを知る人から聞くしかなく、江戸時代生まれの親に育てられたおじいちゃん、おばあちゃん世代が少なくなっていくこれからはますます難しくなっていきます。
右團治さん

言葉をマスターするには、なるべく接する時間を多くして、体で覚えることがいちばんだと思います。毎日、落語はもちろん、江戸の言葉や感覚が生きている長唄や端唄、講談、浪曲などをBGMにして聞いていました。長唄や端唄は習ったり、習っていない浪曲でも繰り返し聞いているうちに歌詞を覚えて空で言えるようになりましたよ。

言葉には、その背景となる生活や文化があります。右團治さんは、ただ言葉づらだけではなく、さまざまな芸能を通して、脈々と受け継がれてきた江戸っ子気質や江戸っ子が好んだものを、お酒を醸すように、自分の中にしっかりと仕込んでいったのでした。
それに、言葉に関しては右團治さんには2つの強みがありました。それは高校生の時、アナウンス部に入っていたので、標準語がきちんと使えたこと。そして、もう一つは「地方の方言(関西弁)だったこと」!え、それって大きなハンディだったのでは??

右團治さん

私も最初は、東京育ちの方のほうが断然有利なのでは、と思っていました。でも、普段の言葉が東京弁の方は江戸弁に近いという意識があるせいか、逆に違いを意識しにくいみたいですね。
その点、もともと言葉が違うという前提で出発しているので、先入観を持たず、外国語を習うような気持ちで覚えていけたのです。

 

こうして、右團治さんは一生懸命に修業を積み、師匠も折り紙をつけるほどの努力を重ねて、平成3年に二ツ目*に昇進。 平成12年には、東京の落語界では3人目、落語芸術協会初の女性真打ち**に昇進しました。入門以来13年目の輝く時を迎え、師匠・桂 右團治が誕生しました。晴れの真打ち披露目では、母校・早稲田大学の当時の総長が挨拶してくださり、それを文治師匠は我が事のようにうれしそうに語っておられたそうです。

 
右團治さんの真打ち披露の口上
桂 右團治さんの真打ち披露の口上。右端の桂文治師匠、桂米丸師匠をはじめ、大先輩があいさつをして紹介し、末永い引き立てをお願いする。一世一代の晴れ舞台で、本人は語らず深々とお辞儀をする。
二ツ目
見習いを終えて、正式な落語家に仲間入りし、紋付の羽織を着ることが許されます。
真打ち
寄席で最後に“とり”を務める資格が与えられます。江戸落語界では、真打ちになって初めて「師匠」と呼ばれるようになります。
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